言葉を変えるだけで自分を活かせるようになる

人の悩みを聴いていると、

普段ほとんど意識はしていませんが、

私たちは言葉の意味にかなり縛られているということに気付かされることがよくあります。

例えば

これは本人が名前を出さなければ書いても良いと承諾してくれたので書きますが

ある人は仕事が嫌でしょうがないということで悩んでいました。

仕事のどんなところが嫌なの?と質問すると

仕事の内容や量もそんなに大変ではないし

仕事に全く興味を持てず、つまらないというわけでもない。

上司から成果を出せとプレッシャーをかけられないし

人間関係でトラブルもないし

身体の調子悪いわけでもない。

むしろ他の会社で働いている学生時代の友達の話を聞いていると

自分はずいぶん恵まれた職場にいるんだなあと思うそうです。

そんなに嫌だと思う理由が見当たらないのに

なぜか仕事って考えるだけで嫌になってしまうのですよねと言っていました。

これはどういうことなのか?を探るためにさらに話を聴いていってわかったのは

この人は仕事という言葉に、めんどくさい、嫌々やるもの、自由がない、奴隷みたいに働かされる、

みたいなネガティブな意味をたくさんつけていて、

実際の仕事そのものはそこまで負担じゃないのに、

その色眼鏡(その言葉につけた意味付け)によって

仕事と考えるだけでネガティブな感情が湧いてきて、

それによりものすごい負担だと感じたり、やる気が失せてしまっていたようなのです。

ということは、仕事という言葉を使うとすごく大変に感じて嫌になってしまうのなら

逆に仕事という言葉をつかわなければどうなるか?

そこで仕事という言葉を作業という言葉に変えて考えるとどうなるか?やってもらいました。

すると

これまでだったら仕事だと考えると億劫になったり、嫌だという気持ちになり

なかなか動けなかったり、それだけで疲れてしまっていたのが

作業という言葉に変えて考えると、ネガティブな感情が出てこないというので

これをしながら日常で様子を見てもらいました。

すると今までが何だったんだろうと思ってしまうぐらい

抵抗なくすんなり動けてしまったり、今までみたいな負担を感じず楽にできるようになったそうです。

実際にやることは同じなのに、言葉を変えただけで変わってしまうのですね。



これは面白いとなり、この仕組を使って子どもたちにやってみたのは

遠足などで階段を登るのがつかれるから嫌だとかめんどくさいと

ぶーぶー文句ばっかりいってダダをこねる子に

階段を登るって考えるのではなく

足を下ろす、足を下ろす、って考えながら登ってみなって登らせたら

すごい嫌がっていた子が

あれ?なんか楽に登れる、と言いながら登っちゃったのですよね。

言葉を変えるだけで自分を活かせるようになるって面白いですよね。

察することが出来ないのは障害なのか?それとも文化なのか?

みなさんは、高コンテクスト文化とか低コンテクスト文化という言葉を知っていますか?

これはアメリカの文化人類学者のエドワード・ホールが

様々な国や地域のコミュニケーションのスタイルを調べその特性をまとめたもので

「コンテクスト」とはコミュニケーションの基盤となる

共通の知識や価値観・考え方(背景や文脈)のことです。

そしてこのコンテクストの共通性が高い文化を高コンテクスト文化、

コンテクストの共通性が低い文化を低コンテクスト文化と呼ばれています。

高コンテクスト文化は、

コミュニケーションの基盤となるコンテクストの共通性が高く言葉以外の文脈や状況から

情報を汲み取ってくれるので、言葉にしなかったり曖昧なことを言っても、

お互いに察してなんとなく通じちゃうのです。

そのために感情的に物事を決める傾向があり論理的にずれていても

受け入れられたりしちゃいます。

ということは、高コンテクスト文化でのコミュニケーションは

「コンテクストの量」と、

共通のコンテキストから「文脈や状況から汲み取る能力」がポイントとなります。

また低コンテクスト文化は

コミュニケーションの基盤となるコンテクストの共通性が低いので、

言わなかったり、曖昧な言葉だと伝わりません。

言葉がとても重視され、直接的でわかりやすく、シンプルで論理的に伝えていかないと

通じないという傾向があります。そのために論理的に物事を決める傾向があります。

ですから低コンテクスト文化でのコミュニケーションは、

表現力、説明能力、論理的な思考力、交渉力などが重視され、

移民国家などは全く違う価値観や歴史を持った人たちが

集まっているのでこの傾向が強くなります。

なんでこの話を出したかと言うと、発達障害の子どもたちと関わっていて思うのは、

結局、この子達と関係を築く時にやっているのは

低コンテクスト文化的なコミュニケーションなのですよね。

要するに異なる文化を持つ人達と関係を築くやり方。

確かに彼らのコミュニケーションがうまくできないのは障害なのでしょうが、

私の感覚だと障害というよりも異なる文化を持った人たちとの関わりみたいな感じで

この子はこういう考え方をするんだとか、

こういう伝え方をすれば伝わるんだと日々発見だったり、

時間はかかるけどだんだん伝わるようになっていくのが楽しいので、

これって障害なの?って時々わからなくなるのですよ。

ですからこの高コンテクスト文化的な

「同じように考えたりわかるのが当たり前」というのが

彼らのコミュニケーションをより難しくさせているところも

あるんじゃないかなと思うことがよくあります。

でも考えてみると今の時代は膨大な情報や様々な知識、価値観・考え方などが

どんどん入ってくるし、個性や違いを認めていく方向にどんどん進んでいるので

共通のコンテクストってどんどん減ってきているわけで、

むしろ低コンテクスト文化的なコミュニケーションの仕方が

必要になってきていると思うのですよ(特に変化の激しいビジネスの世界では)。

だから、一人ひとりが違うのだから、わからない伝わらないのが当たり前で

どうやってコンテクストの違う人たちと関係を築いていけばよいか?

という考えに変えていかなければ

これからは対応できなくなっていくように感じるのですよね。

そういう視点からいうと発達障害の子どもたちは

今の時代に必要なことを教えてくれている存在なのかもしれないと思うのですよね。

愛される事をあきらめた時にすでに愛を手に入れていたことに気づく

前回の記事では

親に不満や怒りの感情をずっと持ち続けてしまうのは

ある意味、親に変わってほしいとか、親を変えたいという思いがあり

そこには親は全く変わらないという前提があるのですよね。

ただ親も歳を取るし、自分も親に対抗するだけの力がついてくるので

現実には全く変わらないという事はありえないのですが、

それでも親は全く変わらないという認識をし続けているのはなぜかを解き明かすためには

その人自身がどんな基準を持っているのかを調べる必要があるのです。


でもってそれを調べていくと普通の人には不可能な、完璧な(理想の)親を求めていたりするのですよ。

その基準から見ているから親は全く変わらないという認識になっている可能性があると。

それによってずっととらわれてしまっていたり、苦しんでいるのだけど

それぐらい親のことを助けたいとか、何とかしたいと強く思っていて

その根底にあるのは親への愛なんですよという話でした。


でも、本当に伝えたいのはここから先で

自分の親は完璧な(理想の)親にはなれないという現実を受け入れるとどうなるか?

メチャメチャ抵抗してくれます。Σ( ̄。 ̄ノ)ノ受け入れたら負けってやつですね。

そこを掘り下げていってわかったのは

親に不満や怒りを持ち続けるということは

親が自分の求めている完璧な(理想の)親になったら

親を受け入れられるという図式になっているのですよ。

じゃあ、自分の親は自分の求めている完璧な(理想の)親になれないという現実を受け入れるとどうなるか?

それは言い方を変えると、ありのままの親を受け入れることなのですが、

その人たちの中では

ありのままの親を受け入れる

=自分の親はダメだというのが確定する

=あきらめる

=親を見捨てる

=関係が終わる

ということになっているのです。

だから、ずっと不満や怒りを感じているのは、本当は親を助けたい、あきらめたくないと頑張っているのですよね。

ですから根底は親への愛なのですよと前回書いたのです。


ちなみにそのありのままの親を受け入れられた人はどうなったか?

けっこう、ポロポロと泣き始める人がいます。

なぜって?

ある人は言っていました。

親を自分の望んでいる完璧な親に変えようとするのをあきらめた時

親を変えられなかった悔しさや悲しさでいっぱいになると思っていたら

なぜか親なりに自分のことを思っていてくれたり、

自分のためにしてくれていた事に初めて気づけたって。

ずっと親に愛されていないと思っていたけど

自分はずっと愛されていたことに気づいていなかっただけだったって。

そして、ずっと色々な人達にも助けられてきたこともわかったって。


だから本当は、親に対して不満や怒りを持ち続けたり、親を完璧な親に変えようとしていたのは表面的なことで

本当は愛されたいと叫んでいたのですよね。


でも悲しいことに愛されたいと思えば思うほど、今の自分は愛されていないという前提を作り出し

愛されていることを見えなくしてしまうのですよ。

だから、本当のことを言うと

親を変えることをあきらめてしまうと、自分は愛されない存在だと確定してしまう事を恐れていたのです。

でも、実際は親は親なりにずっと愛してくれていたのです。

あなたの恐れに勇気を持って向き合うと、(あなたの)現実が変わるのです。

親に対する怒りや恨みの根底にあるもの

子供の頃に親から理不尽なことをされたり、必要な事をしてもらえなかった人たちの中には、

大人になってもずっと親に対する不満や怒り、または恨みの感情に囚われ続けてしまっている人たちがいます。

今は大人になり独立して親から離れて暮らしていたり、

努力して色々なことに対処できるようになっているにもかかわらず、

今の自分が出来るようになった事を評価できずあきらめてしまっていたり、

過去は置いておいて、今の幸せを受け取れないのです。

今回はそういう人たちから話を聞いていて、気がついたことを書いていこうと思います。

もちろんこれは絶対的なものではなくて、私が個人的に感じたことなので

すべての人にあてはまるということではないのであしからず。


さて、親への不満や怒りにずっと囚われてしまっている人の話を聴いていくと

その内容の多くは

1,親から酷い(理不尽な)ことをされた。

2,親が守ってくれなかった、助けてくれなかった。

3,何をやっても親は全く変わらない。あきらめている。

という話なのですが、

もし本当に親は全く変わらないという現実を受け入れているのであれば

全く変わらない親にいくら怒ったって、変わりませんし

自分の方を変えていこうとするですよね。


でも、親に対してずっと不満や怒り、恨みを持ち続けるということは

それだけ親が変わることを求めている
=親を変えたいと思っている

のですよね。

ただ、現実的には

自分も大人になっていけば子供の頃よりも

体力的にも能力的にも色々なことが出来るようになりますし

親も自分と同じだけ歳を取って衰えていくので

全く変わらないということはないのですよね。

そこでそういう親の変化に気づいているかを確認すると

ちゃんとわかっているのですが、それでも親は変わらないというのです。


という事は、変化しているのに変化していないというのは

親がどうなったら変わったと認識するのか?
=親にどう変わることを求めているのか?

というその人の基準の問題になるので

それを具体的に聴いていくと

(これは本人はあまり自覚していない事が多いのですが、)

いつでも、何をしてもニコニコしているとか

自分の気持ちをすべてわかってくれるとか、

何でも言うことを聞いてくれるとか

絶対に怒らない、などなど


それらを並べていくと見えてくるのは

どこの神様の話ですか?みたいな

だだのおっちゃん、おばちゃんには無理でしょう!という

完璧な理想の親になることを求めてしまっているようなのです。

その基準からみているから親は全く変わらないになっちゃうのですよね。

そんな親にはほとんどの人がなれない(というよりもそんな親どこにもいません)ので

(極端に言うと親に神様になれ!そうすれば許すと言っているようなものですから)

永遠に親に不満や怒りを抱え続けることになるのですよね。

でも裏を返せば、(かなり歪んでいますが)

それだけ親に変わってほしい
=本当は親と仲良くしたいってことだし

いつか変わってくれると信じていたり

ダメな親だと見捨てたくないってことなのですよね。

だから、親に文句ばかり言っている人って

ダメだダメだといいながら、結局、面倒を見てあげていたりするのですよ。


たとえどんな親だったとしても子どもは親を助けたいのですよね。

そしてその根底にあるのは愛なのですよね。

子供たちの能力が無いのではなく、大人の指示の仕方が適切でなかったお話

これは今から7~8年ぐらい前のことなのですが

その当時、小学生だったうちの子はボーイスカウトに入っていました。

そのボーイスカウトの活動の一つとして夏祭りに屋台で焼きそばを売るというのがあり

その活動に参加した時のお話です。

屋台で焼きそばを売ると言っても、役割がいくつかあり

お父さんたち=焼きそばを焼く係

お母さんたち=買ってある大量の材料をすぐに調理できるように準備する係
        =一部の子供たちと販売する係(お金の管理)

子供たち =出来上がった焼きそばをパックに詰める係

という分担がされていました。

お祭りが始まった最初の頃はお客さんが少なかったので問題が無かったのですが

1時間ぐらいするとお客さんの数がどんどん増えはじめ

焼きそばを買い求めるお客さんの長い行列が出来始めたのです。

するとそれを何とかしなければと焦りを感じたお父さんたちからは

「遅い!」「なにやってるんだ!」「早くしろ!」などネガティブな言葉が発せられ

それを聞いた子供たちは急がなきゃと思うあまり焦ってミスを連発。

それを見たお父さんたちがさらに怒鳴り、

子供たちは落ち込んだり萎縮してますます作業が遅くなる

という悪循環に陥ってしまっていたのです。

そんな状況の中、私は他のお父さんと交代になり休憩になったので

子供たちの作業を手伝うことにしました。

子供たちは

焼き上がった焼きそばをパックに詰め、

紅しょうがをのせてパックのフタをして

それと割り箸を輪ゴムでとめてからビニールに入れ

売り場に持っていく

という作業をひとりで一通りやっていたのですが

大人の私がやっても、次は紅しょうが、次は割り箸と輪ゴムとあたふたしてしまい、。゚(゚´Д`゚)゚。

しまいには私も「モタモタするな!」と怒鳴られる始末(T_T)ヤバイ、私の能力小学生レベルかも。へこむわ~

そんなこんなで実際にやってみてわかったのは大人でも時間がかかるということ。


しかも小学校低学年の子たちもいる訳ですからそりゃあ無理ですわ。

これは作業が複雑すぎることが問題だとわかったので

お母さんたちと相談して、ひとりで一通り全部やるのではなくて、

一人がパックに焼きそば詰め、

一人が紅しょうがのせる、

一人が割り箸のせる

一人が輪ゴムをかける

・・・

というように低学年の子でも出来るように

出来るだけ作業を簡単にして分担させることにしたのです。


すると一つの作業をくり返すだけなので、ミスが減り、作業がスムーズにどんどんこなせるので

子たちも楽しくなってきたみたいで、どんどん作業が早くなっていきました。(私も別人のようにこなせるので自尊心上がってきた!)

そしてしまいには子供たちがお父さんたちに「まだ焼きそば出来ないの?」って

言うぐらいになっちゃったのですよ。

こうやって一人ひとりの子がもっている力をうまく発揮出来るようにしてあげると

こんなに成果を出せちゃうのですから、子供たちの能力がないのではなく

大人の方の指示の仕方の問題だったのね。子供たちごめん。


どうしても大人は自分が出来るから

子どもが上手く出来ないと、その子の能力の問題にしてしまいがちだけど

大人の伝え方や指示の仕方が適切ではないから

上手く出来なくなってしまっていることもあるのですね。反省しました。

プロフィール

若林宏行

Author:若林宏行
日々、様々な悩みや問題を抱えている大人の人たちや子供たちと関わる中で、気づかせていただいたことや私自身が感じた「忘れてしまっている大切なこと」をつづっていくブログです。

主に子育てや家族の問題、人間関係や仕事の問題、引きこもりや発達障害、心の問題などを中心に載せていきます。

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→ 若林 宏行
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